秋山誠輝


昭和42年4月18日  月次祭
                                  ※途中から
で私は、ちょっとのまたで、私はこげん頂いたという、もう言われないくらいなんです、半ばですから、そしてそのお届けを頂きおわってからです、なるほどあなたが切実に願わなければならないわけが分かった、私信心さして頂くということを、をその、お~、一生懸命信心しておかげを受けなければならんという御理解を説かして頂いた後にです、私が神様に、本当にそのこれはもうペケになるのでございます、おかげに、氏子が願っておるけれどもおかげになりません、というお知らせなんです、けれどもなんとか私の身に代えてでも、修行さして頂いたらこの事が成就するならばと、私がお願いをさして頂いた時にですね、はっとこう、たけてまるを頂いた、(?)の、(しゅうい?)、丁度「田」という字を(そうじょ?)で書いたという感じです、ね、それで私はおかげを受けるなぁと思うたんです、「田」と言えば、いわゆる、種さえ蒔きゃ必ず生えると、ね、だから私が「○○さんしっかり信心しなさい、信心の喜びの種を蒔きなさい、人の事にかれこれ一心にになっておるということは神様がお行き届き、だから一所懸命修行なさい、私も及ばずならば修行さして頂くから」と言うて、お取り次ぎさして頂いて、その、お~、その先方に、難儀を感じておられるのでございますから、「先生何かその、その人に対する御理解をくれ」とこう言うんです、それで私が今のような話しさして頂いたんです、「今実はね、それはもう駄目だということを頂いたけれど、本人に駄目だと言うたら、もう気打ちしなさるだろうから、とにかくこうして崩した、例え一心を頂かれて、一心に縋れば、言わば、田ですから種を蒔きゃそこから稲がでば、生えますようにですね、ね、おかげを受けられるだろうと、一心にお縋りすることですよ」と言うて、まあそのことを伝えさせて頂いたのです、したらその頃からですね、あちらへ下がったんですけれど、食堂に下がる頃には、もう何か寒気がするんです、これは二時からお祭りがあるのに、もう装束を付け替える時にはしゅるすさしゅるすさ、それはもう本当にしるしかったんです、けれどもそれを、私はあの、それと思わなかったんです、あの先日の御大祭を仕えて、足が非常にすくんで痛いんですよね、なれないことをするもんですから、でそれの延長だと私は思うておったんです、ところが考えてみるとです、手が丁度その足が痛むように痛むわけなんですね、終いにはね、五体が(御広前?)痛だむんです、もう体全身が痛むんです、丁度結婚式の、お~、ここのご信者さんですから、もうそっ、人間心は使わんで良いですけれども、相手の方がご信者じゃないですから、またあんまり無愛想しとってもならんと思うて、またその相手をしたりして、もうお届さして頂いて、もうその足で休ませて頂いた、休ませて頂きましたけれども、もう布団の中でもあっち向きこっち向きするぐらいに痛かったんです、ね、それからやはり疲れておりますから休みましたでしょう、もう目が覚めましたのが、丁度八時でございました、三十分でこれはお祭り、と思うて布団の中に起き上がってから、その痛いながら神様にお願いをさして、布団の中で御祈念をさして頂いておる内にですね、もうそれこそ、それうそこそ、嘘のようにね、治ったんでんよ、この勿論足の痛みも無くなったが、この筋肉の痛みですね、この、いわゆる胸、背中の痛みの方です、そして、今晩のこのお月次祭を、私は奉仕さして頂いておるわけなんですけれども、ね、なるほどおかげの受け物がなからなければ、おかげは受けられんということが分かります、そのおかげの受け物というのは、やはり修行だということが、ね、「限りなく美しゅうなることだ」「日に日に改まることが第一だ」「本心の玉を磨くものぞ」と、というそういう美しい、清らかな、受け物と同時にです、受け物が出来るだけではない、それに対するところの、信心、いわゆる願いというものがです、ね、願うからにはやはり「私が修行いたしますから」というその修行が必要であるということが、皆さん分かりになるだろうとこう思うです。
  皆さん、修行せずにですね、お願いをしただけでおかげを受けるということはあまりもの信心です、ね、修行さして頂かにゃいけません、ですからですね、そういう体に受けるところ、痛い痒いというなものはじゅつないですから、自分が求めての修行、ね、自分がその気になってからの修行、それはですね、楽しいんです、ね、神様がどうでもおかげを下さらなきゃならんのに、おかげを頂きたいと思うのに、神様がおかげをやりたいと思われるのに、修行不足である受け物がないために、例えば「私がどのような修行でもさして頂きますから」と、確かに神様にお願いをさして頂いたら、もうそんな修行とは思わなかった、何時間かの間ではありますけれども、私の五体中が痛む、それはもう嘘のような、事でございました、ね、そして、「はあ今日お取り次ぎさして頂いたあの事が、おかげに向いておるな」ということを、まあ感じるわけなのでございます、ね、皆さん、本当にね、あの信心をなさるということは修行をするということだと思うんですけれど、その修行がね、いわゆるさせられる修行じゃなくてこちらからです、こちらから進んでの修行にならせて頂く、ところから私はおかげが受けられるのだと思います、ね、受け物なのだ。
  吉木先生のそれといい、私が今日体験さして頂いたそのことといい、ね、曲がりなりに
でも、崩したなりにでも、田の字を頂かなければならんです、まず、ね。
  これは、私が、十、ここ二十年も前の話しです、福岡の長浜町での、お~、いよいよさせられる修行をしておるわけです、もう大変な修行でした、もうどこからもここからもその、借金がいっぱい、どうにも出来ないというような時代、私の信心にまあある意味合いで帰依をなさってですね、甘木のご信者さん、現在は、その当時は、え~、高宮の総代をしておられまして、後藤と言う小児科の先生がおられました、それが長浜町の私共がおる、お、これから、その、合楽のそこの刑急所ぐらいまで放れた所におられました、大変有名な先生でした、ご夫婦ともお医者さん、時々その、それがどういう事でその、私に帰依されたかと言うとその、「甘木の初代の親先生が亡くなられる」というお知らせを頂いたのです私は、だから私後藤先生に「後藤先生しっかりもう日参でもしてから、しっかり甘木に参って下さいよ」と、「甘木の親先生の持っておられる信心をしっかり頂いて下さいよ」と、初めの間はですね、それがなかなか乗らんもんかと、いう風に言うておられたけど、私あんまり熱心とってもんですからですね、まあ半信半疑でおられたら、それから間もなく亡くなられたわけです、四十五年、忘れもしません、四十五年の記念祭の時でした、まぁだ秋永先生と私も善導寺に御縁を頂いておる時でした、まぁだ一遍は、まだ椛目に帰ってない時でした、甘木の四十五年祭を、を~、もうそれこそ溢れるような中で私共も外から拝んでおった、回路がずっとあるんです先生方がずら~っとその参列されます、いわゆる先生方がご参向になるわけです、ところがです私がどんなに見てもどんなに見てもその先生方がですね、冠の後ろにこう下がっとりましょうが、あれをこう巻いてあるんですよねこうギリィっと、「可笑しいなぁ~」と私は思うたんですよ、あれはねお葬式の時にしか使わんです、あのしないです、まっ普通は冠たれます、お葬式の時にはあれを巻くんです、まあ四十五年というその時には、四代金光様がご御祭主でおいでられました、甘木に、ああいう例えば、その~、大変な御祭典が仕えられておる、こういうめでたいことがです、言うならば、こういう不吉な事を頂くということはどういうことだろうかと思うて私は、神様に御神意を頂いた、すぐに秋永先生が側におりましたから、そのことを話したんですよ、そしたら「安武松次郎お国替え」と、もう私は自分の(?)ないけれども、道上にも大変なけいっ、おっ、お損だと思うたんですよね、それこそ当時日本一と言われるような先生ばです、亡くするということはもう大変なことだと思ったんです、ですからもうそのことがです、頂いたことをその誰にか伝えなければおられないもうんですからその後藤先生に伝えたんですね、それでその、後藤先生が初めの間は半信半疑であられた、「(?)元気で後を御祭典をお仕えになったばっかりじゃないですか」と、それでも頂くことはこう頂きますから、「まああなただけにふせといて下さい、けれどもまあとにかく私頂いておりますから、どうぞもう日参りでもして甘木におかげ頂きなさい」と言うて、ところがそういうな事が事実が事実として現れたもんですから、非常に私に帰依されたんです、もうそれこそ、お~、四畳半の私共の住まいに、畳もしいてない、荒板がしいてある、雨が降りゃぁだだ漏れするというような所にです、後藤先生はやっぱお参りしてみえとりました、もう足、下駄の脱ぎ場もございませんでした、雨の降る時にはもう脱いだ靴は濡れるわけなんですね、そういうような、小屋のような、小屋のような、小屋です、中で私が修行中の時分でございました、ね、それでもやはりその信心に帰依をされましてですね、その、そういう時代でしたが、私はど~うしてもその時に金を、確かに一万円か一万五千円かをですね、借用しなければならないことになったんです、作らなければならないことになったんです、もうどうにもしようがないもんですから、自分の持っておる洋服を持って行きましてから、その後藤先生にお願いしたんです、私信心にある意味でその信用しておられるもんですから、「もうそれはいりませんよ」と、ね、「お洋服は持ってお帰りなさい、そのお金何とかいたしましょう」と言うて、その、借りたんです、ね、「そしてならいついつはご返済をいたしますから」と言うてきたところが、いついつになってもいついつになっても返済が出来ない、ね、そん時に私はもうとうとうお断りに行くのが出来ませんもんですから、大橋と秋永先生の所にまいりまして、断り状も書いとるです、「こんなわけでございますから、実はお顔を合わせる事も出来んから、すいませんけれどももうしばらくお待ち下さい」というその、やっぱあの時分から先生は、その神乍ら式じゃったじゃろうと思います、それば後藤先生に渡して下さいというとこを渡しておらんそうです、今にだから先生家にそれが残っております、私後藤先生にそのお断りの手紙を書いた、それが大橋に残っておりますです、そういう時代です、もうどんなに縋っても願ってもそれこそ逆さまにしても血も出らんという時代なんです、ね、神様にお縋りもしましたね、一生懸命の修行もさして頂きました、ね、けれどももうそれこそど~にも出けませんでした、神様にお願いをさして頂きましたら、丁度私が、野山、山ですね、一本も木が無い山なんです、そこで私がこう鎌を持って焚き物を取ろうというような状態のところを頂くんです、それこそ焚き物にする薪一本がないという山で、私がいかに鎌を打ち振ろうたところで、木一本切ることは出来んのです、ね、「今のお前の状態はこれなんだぞ」とこう神様から頂きました、ね、「お前の、先っ、先代ぐらいまでは、それこそこの山にもう欝蒼として木が生えておったんだ」と、ね、それを例えば切ってしもうて、ね、そして後に植えるということをしなかった、私の先祖の中にはですね、もうそれこそもう、毎晩ですね、あの晩酌をする時に三味線をいれなきゃ、いれなかったら御飯を頂かんというぐらいに贅沢したもんだそうです、ね、それこそお金もどれからどこまでも他所のじちょうをふばんでも良いというぐらいにおかげを頂いとった時代があったんですけれどもです、もうこれは善導寺でございました、丁度久保山先生とこの向かえに、真田さんという就任役がありました、あの家がそうなんです、私共が、子供の時に婆がお寺参りになんか連れて行きますと、「ほらあの屋根ば見てごらん、家の紋がついとろうが」って言うてから、その言いよりました、この前みえましたねあの助役さんの、今お宅になっております、そういうような時代があったんだ、けれどもですね、ああいう例えば善導寺の、ああいうお寺さんがあるのにですね、お寺さんにね、うんなら門前の大坪という、かなんかって申しますもんね、その、が、そのなんかきそうでもしておったというなのが何ぁんに残っていないということですよ、いかに徳を積むということをしないと、かということが分かります、ただ自分が儲けりゃ自分が贅沢をするというだけの、私は、じゃったんだと思うですね、ですから、そこの丁度もう一本も切り倒す木がない所に生まれ合わしたのが私だったということなんです、「さあ、お前が今鎌を持って切ろうとしても、切れるのでじゃないのだから、さあ一生懸命喜びの種を蒔いていけ、喜びの種を蒔いていけ」というのが神様のおっしゃる通りでしたその当時、ね、ですからどこに病人がおると言やあお話に行く、どこに道を求めておられる人がありゃあそこへ行く、どこに共励会があると言やあよばれてそこに行く、もうそれこそ道の遠い近いを言わずに、もう寒いも暑いも、その当時はございませんでした、いわゆるそこに一生懸命喜びの種を蒔かせて頂くところの、おぉ信心をさして頂いたわけでございます、それからもう、お~、本当にわずかな時間です、時間と言うか、わずかな年限でございましたですね、私の(?)助かるようになりましたのは、ね、ですから、今までそこに欝蒼として生えておるのでございますから、それを切らして頂いておるのが現在の状態であろうから、切ったら良い、切っても良いのです、どんな贅沢なら贅沢しても良いのだ、ね、神様が下さるのだから、けれどもそこの後には、やはり、信心の苗喜びの苗というものを、私は植えて行くだけの信心がなされて行かなければならないということ、ね、だから受け物を作るということにでも一生懸命になればです、ひならずしてです、ね、私が例えば二十年前にそういう難儀な中にあったんですけれども、それから二年三年後には、もう人が助かり、あれこれに不自由することのないようなおかげを頂き、これは余談ですけれども、後藤先生のお国替えの時には、椛目からもうご本部参拝が何十人ある時分でした、丁度ご本部参拝の行きがけに、神様からお金を一万円か一万五千円だったと思いますけども、持って行くように頂いたんです、何のためにいるだろうかと思うておった、そしたら今あの会堂が、まだ会堂が出けとりませんでした、会堂が出来るあの所の金光様がお下がりになる所の、そこで後藤先生とばったり合ったんです、「もう本当に長い間御無礼してすいません、っとに申し訳ないことでございました、長い間御無礼いたしました、本当に、え~、実はこうやって今日持ってきとりますから、本当にあのこれが元金でございます、これはもう本当に少ないですけども利子でございます」と言うてお払いしたところが、「利子なんかもう、いいえそれはようございます」と一応言われました、もうあきらめておられましたです、ところが私が「いいんやそんなことじゃ私の気持ちがすみませんから、どうぞ受け取り下さい」ほんなもう道部ででした、お渡しもうしました、そしたらもう後藤先生が大変喜ばれたんです、何故かと言うとですね、その時丁度、そのお~、高宮、高宮、あそこは高宮やったかどこじゃった?あ?あっ平尾でした、平尾教会、平尾教会の記念祭の、お~の、ほんの直前でした、ですから「もう記念祭になんとかおかげ頂きたいおかげ頂きたいと思うけれども、実は出来んのだった、こりゃうんなら記念祭に使わして頂きます」と言うてから私が払ったのを押し頂いてから、押し払いしたことでございましたね、そんな事もございました、いかにねおかげの受け物なしにはおかげが受けられないかということが分かります、受け物は持っておっても、そのこに一生懸命の喜びの苗が、私は植えぬかれ蒔かれぬかれていかなければいけないということ、ね、そのこと、このこと、または吉木先生の今日のお話の中からです、ね、神様が修行を求め給うということは、ね、氏子を苦しめたいというのではなくて、氏子におかげをやりたいという御一念が、修行という形になって現れてくるのでございます、ですからそういう風に現れてくる修行は大変言わば述ないのです、ですからこちらの方からです、それこそ「まけときまっしょっ」っちゅうぐらいな信心をしなさい」と私が言うんです、気分が良いでしょうが、ジッキならジッキな物を買って、ね、これが差がピーンっとなるぐらいにですね、まけてもらうと気持ちが良い、神様もやっぱ気分が良いんですよ、「十日間こげな修行をします」と言うたら、十一日間するんですよ、ね、これこれのおかげを頂きますと言ったら、それをちっとこっちがまけときまっしょっちいうぐらいな修行をさしてもらうんですよ、ね、神様も気分良うおかげを下さることが出来るのですね。
  どうぞそういうおかげを頂いてもらわなければなりませんと同時に、え~、私明日という日を向えさして頂いたら本当にあの気持ちが楽になる事があるんです、というのは、う~ん、ここの婦人総代を勤めており、おられました、田代幸子さんの明日は五十日祭でございます、色んな親戚関係の事情もございまして、その仏教でしてございました、もう娘達が参ってきてから、「親先生あの、母は助かっておるでしょうか」と、もう真剣に問われるのですけれども、私が頂かんのです、もうこればっかりは、まああの久保山先生時なんかは、一週間ばっかり頂き続けましたもんね、ところがもう本当に私はしらごつじゃいかんもんじゃけん「あんたげんお母さんは、助かっとるっちいうたら、私あれだけの信心しとったけん助かっとると思うよ」と、けれどもね本当にいわゆる霊様の頼みとか、霊様の助かっておられる状態というものをどげんお願いしても頂かんのです、それでんあの、助かってござることだけは私は確信する、ね、だからこの五十日祭は、もう私は、あのとうとう告別式にも行かなかったから、もうそれとこれと一緒にするごたる気持ちで、あんた方はどうでもええけれども私はその気持ちでおかげを頂きたいと思うから、と言うて今日皆子供達出てまいりましてから、明日の、そうそう五十日祭を奉仕することを、(お取り次ぎ頂いております?)、おそらく私明日の、お~、五十日祭によってです、私と、コ田代幸子さんとの霊との何か交流も始まることであることをまあ楽しみにしてお、なものでございますから、ね、人力をおいて、神力、無辺、とおっしゃる、無辺の神力にお縋りをするということ、無辺の神力に一つになるということ、こん中に飛び込んでいくということ、神様の働きの中に飛び込んでいくということ、その溶け込んでいくということが、お道の信心、そんならばその溶け込んでいくということには、どういうことにならなければならんのか、いわゆるぎりぎりの自分っていうのがまず分からなければならないということ、いいですか、ぎりぎりの自分が分からして頂いて、私のような者がという、てんじせいにならしてもらう時に、ね、例えば私は今日、その盲さん達御夫婦を見て、その例えば御飯を、お嫁さんがこうやって、食べさしておられる、「これがあれですよ、これですよ」と言うてから、「これがあなたのお好きなあれですよ」と言うてこう、食べさしておられるのを見てです、私が前で、もうそれこそ、(りんじぎょころう?)、でなかじゃろかと思うぐらいにもうあったんです、私が、本当に奥さんがあげん大事しつめじゃと食べよかろうと、言う(笑)、そいけん悲しかったということもそうでもないらしいです、ね、本当に私の心の中に悲しいまでに感動が沸いてきたということを、そういう姿をです、神様はどのように喜んで下さったことか、ね、いわゆる、いわゆるその盲の自覚、跛の自覚が本当に出けておられるのですから、屑の子ほど神様は可愛いという思いが念がそこにあったんだと私は思いました、ね、ですからまず何と言うても、自分自身をぎりぎり分からしてもらうために教えを鏡にしなければならない、自分の周辺の、問題を、自分の鏡と思わなければならない、こんなに苦しい問題が起こっておるとするなら、「そういう見苦しいものが私の内容にあるのだ」ということを、悟らして頂かなければならない、そして最近私が言っておりますように、そういう心でこの神様と合流することが出来る、ね、神様が屑の子ほど可愛いとおっしゃる、その可愛いというその、愛の手が差し伸べられるから、ここに一つになれれ